Blue Moon








「蛮ちゃん、ごめんね」

 銀次がそう口にしたのは、夜も更けてきてそろそろ寝ようかという気分になった頃だった。
 カーテンなどついていないスバル360の狭い車内は、中天に昇った月に照らされて青く明るい。
 その中で、少しうつむきがちに銀次は自分の手を見つめている。
 先程までは昼間のマエストロ・マドカと蛮のヴァイオリン2台の競演の余韻が覚めやらぬ様子で、いつもよりもはしゃいだ様子を見せていたのに、今はすっかりしおれてしまったような横顔が、夜の大気にどこか頼りなく抱かれていた。
「・・・・何がだ」
 蛮が返事をするまでには、少しだけ間があった。
 それは、銀次が何を言いたいのか、大体のところの検討が付いていたからでもあったし、また必要のない謝罪を耳にしたことが、少しやるせない、あるいは苛立たしい気分を呼び覚ましたからでもあった。

「だから、士度のこと・・・・」
 案の定、予想通りの返答を返した銀次に、蛮は軽く溜息をつく。
「テメーが謝るこっちゃねぇだろうが」
「でも、オレのせいじゃん。士度は仲間のオレには絶対手を出さないから、どうしても蛮ちゃんの方に向かって行っちゃうし、オレが楽しく蛮ちゃんと奪還屋やってるから、余計に士度もムキになったんだと思うし」
「んなもん、お前のせいじゃねーだろ。お前はお前なりに考えて無限城を出たんだから、猿マワシや絃使いが望んでることは、ただの無いものねだりなんだよ」
「けど、オレがVOLTSを解散したせいで、士度が居場所を失くしちゃったのは事実なんだから。・・・・多分、士度は今より無限城に居た頃の方が、楽しかったんだよ。今の方が楽しかったら、オレに戻れって言うわけがないもん」
「それとお前と、どういう関係があるってんだよ?」
 いつもよりも消沈した口調で言う銀次に、蛮の声もやや険を帯びる。
「お前はお前、あいつはあいつだろうが。いい年した野郎がないものねだりしてるのに振り回されてどうするんだ?」
「無いものねだりって・・・・」
「その通りだろ。お前に、無限城に戻る気があんのかよ?」
「───それは無いけど・・・・」

 あまりにもはっきりとした蛮の言葉に、銀次は返答に窮したようにうつむいた。
 その横顔を見やって、蛮もまた、機嫌がいいとは言いがたい溜息をついてみせる。
 そして首の後ろに組んだ手を回して、シートに深く体を預け、スバル360の低い天井を見上げながら口を開いた。

「とにかく、そんな無駄な心配なんざしてやる必要はねぇよ」
「・・・・・なんで、無駄だって言えるの?」
 非難が少しだけ、疑問がほとんどの声で銀次は問い返す。
 もしかしたら、いつものように自分が気付いていない事に蛮は気付いているのかという、かすかな期待をその声に感じたものの、蛮は素っ気ない口調を崩さない。
「野生の獣は、自分で自分の居場所を決めるもんだ。無限城っつー居場所を失くしたって、あの野郎はまた新しい居場所を自分で見つけるさ。テメーなんかが心配しなくてもな」
「・・・・・・そうなのかな」
「まぁ、今回の阿久津は失敗だったみてーだけどな。二度も同じ失敗するほどの馬鹿にゃ見えなかったぜ」
「あれは、士度が仲間のことを考えて、仕方なく選んだんだよ。あんな広い庭のあるお屋敷なんて、そうそうあるもんじゃないし・・・・。士度は仲間を見捨てて、自分一人がアパートに住むような真似は絶対にできないしさ」
「いずれにせよ、あの野郎は自分で何とかするさ。本当に魔里人の末裔だっていうんなら、野宿だって苦にならねーだろうしな」
「・・・・・・・」

 まだ納得しきれない様子で、銀次は沈黙する。
 だが、蛮は何も言わなかった。
 実のところ、今回の依頼人だったあの少女が魔里人の末裔である男を気に入っている以上、彼の行き先は決まったようなものだろうと蛮は思っている。
 これまでそういう勘が外れたためしはないのだが、銀次に言えば、また可愛いと思っている少女とかつての仲間との間で葛藤するのが目に見えていたから、あえて口に出す気にはならなかった。
 何かあるたびに、銀次が大げさなほどに騒ぎ、どうしてと意味不明の疑問をぶつけてくることは蛮にとっては、とうに慣れたことであるし、別に嫌でもないのだが、しかしそろそろ寝ようかという時分にパニックを起こされるのは、ひとえに鬱陶しいだけである。
 夜中にブチ切れて、金も家もないのに、大事なねぐらであり足でもあるスバル360を壊しでもしたら、それはただの馬鹿者でしかない。
 沈黙は金、と心の中で呟いて、蛮はシートに体を預けたまま軽く両目を閉じる。

「・・・・うん、そうだね。蛮ちゃんの言う通りかもしれない。士度はオレなんかよりずっと器用だし、色んなこと知ってるから、どこにいてもちゃんとやっていけるんだろうな」
 蛮の内心など知るよしもなく、半ば自分に言い聞かせるように、銀次が呟く。
「ま、少なくともテメーよりはマシだろうよ」
 それに対し、返す蛮の口調は、少しだけ皮肉っぽくなった。
 というのも、無限城を出るまで普通の店で買い物をしたことさえ殆どなかった銀次は、いい年をして一般社会の常識をロクに知らず、おかげでコンビを組んだ蛮はかなり苦労させられたのである。
 この街で暮らすようになって一年以上も過ぎた今は、それなりに一人で出歩いても大丈夫になったが、最初の頃は本当に大変だったのだ。
 唯一の救いと言えば、銀次が非常に素直で、蛮の言うことなら微塵も疑わずに何でも鵜呑みに信じたことだろうが、一方で単細胞の如く、同じ失敗を何度でも繰り返したから、そんなささやかな長所などそれで帳消しだった。

「無限城に居た頃の士度はね、本当に強かったんだよ。でも一匹狼って言うのかな。四天王の一人だったけど、いつも動物だけ連れて人の居ない場所でのんびりしてるのが好きだった」
「根暗なヤローだな」
「そんなことないよ。そりゃ人付き合いは得意じゃなかったと思うし、敵には容赦しないから怖がられてもいたけど、でも仲間たちからはすごく慕われてて、特に小さな子達が士度や、士度の仲間のことを大好きだったんだ」
 懐かしさを込めて、銀次はとても大切なことのように言葉を綴る。
「だから、大丈夫だろうと思って、オレも無限城を出たんだけど・・・・。他にもカヅっちゃんとかいたし・・・・」
 でも駄目だったんだね、と銀次の声が寂しげになる。
「無限城は本当に普通の場所じゃない。生きるためには戦うしかない場所だから、弱い連中は団結して身を守らないと、ちょっとでもバラバラになってたら簡単に強い奴らの餌食になっちゃうんだ。『オレ』がいなくなったから、VOLTSの下でまとまってた奴らは皆・・・・・」
「それぐらいにしとけ」
 言葉を途切れさせた銀次を、蛮の声が遮った。
 うつむいていた顔を上げた銀次の視線の先で、サングラスを外した蛮の瞳がまっすぐに見つめていて。
「お前はお前なりに考えて、無限城には居られないと判断したんだろうが。それならもう仕方がねぇんだよ。お前はもう無限城には戻らない。だったら、それを前提にしてどうやって生きていくか、あいつらは自分たちで考えなきゃならねーんだ。お前が考えてやることじゃない」
「────」
「まぁ心配してやるくらいは、お前にも権利があるだろうけどな」
「蛮ちゃん・・・・」

 じっと蛮を見つめていた銀次が、まなざしを伏せるようにうなずく。
 その口元には、寂しさと苦さのにじんだ笑みがかすかに浮かんでいた。
「・・・・・全部忘れちゃって考えずにいられたら、きっと楽になれると思うんだけど。でも仲間だったから・・・・・本当に大事な仲間だったから、絶対に忘れたくないんだ。辛い事も沢山あったし、正直『雷帝』のことは思い出したくないと思う。でも忘れたりはしたくないんだよ」
「・・・・いいんじゃねーの、それで」
「蛮ちゃん」
「もう何にもできねぇんだから、後は忘れずにいるしかねーだろ。それで許されるってわけでもねーけどな。自分のしたことを忘れちまうよりは、なんぼかマシだろうよ」
「そうだね・・・・」
「それで納得したんなら、もう寝ろ。明日だってまた、次の依頼人を探しに行かなきゃなんねーんだからな」

 素っ気なく言って、蛮は再び自分の腕を枕に、シートに体を沈める。
「うん」
 素直に銀次もうなずき、同じようにリクライニングさせた助手席のシートに転がる。
 そして、
「ねぇ蛮ちゃん」
 姿勢が低くなったせいで車窓から見える月に目を向けながら、小さく蛮に語りかけた。
「士度は、『外』でもちゃんと居場所を見つけられるかな」
「──何度も同じこと言わせんじゃねぇよ」
「大丈夫だよね?」
「────」
「大丈夫だよね? ちゃんと幸せになれる場所を見つけられるよね?」
「────」
「ね? 蛮ちゃん?」
「しつけーんだよ、テメーは!」
 何度も問い続ける銀次に、最初から持ち合わせの少ない蛮の忍耐があっさり尽きる。
「あんな猿マワシのことなんか忘れて、とっとと寝ちまえ!!」
 シートに腕をついてわずかに体を起こし、蛮はつい先程の言葉と正反対のことを勢いよく怒鳴る。
 だが、銀次は強情だった。
「大丈夫だって言ってくんなきゃ寝ない」
「大丈夫だ!!」

 そう蛮が怒鳴った途端。
 銀次は笑顔になった。

「うん」
 えへへと嬉しそうに笑い、蛮を見つめる。
「蛮ちゃんにもう一回、そう言って欲しかったんだ。蛮ちゃんが言ってくれたら、本当に大丈夫な気分になるからさ」
「───馬鹿か、テメーは」
「いいじゃない、オレは蛮ちゃんのこと信じてるんだから」
 信じてなかったらこんなこと言わないよ、と笑顔で言う銀次に、蛮はもう文句を言う気力も失くして元通りシートに沈んだ。
「蛮ちゃん、怒った?」
「・・・・怒ってねーよ。呆れてるだけだ」
「なんで? オレ、何にも悪いこと言ってないよ?」
「阿呆。悪くなくったって十分馬鹿だろうが」
「オレは蛮ちゃんのこと信じてる、って言ったんだよ。正直に喜べばいいのに、ホンットに素直じゃないんだからなー。へそ曲がりって蛮ちゃんみたいな人のことだよね」
「うるせぇ! 黙って寝てろ!!」
 ふん、と目を閉じたまま蛮はそっぽを向く。
 そんな相棒の態度に銀次は笑い、そして、窓の外の月を見つめた。
「士度は今、どこで寝てるんだろうね・・・・・」
 それがこの夜、銀次が呟いた最後の言葉だった。




          *          *




 傾き始めた満月の青い明かりの中、銀次の色素の薄い髪も青みを帯びた白金に光っている。
 そのやわらかな輝きを、そっと指を伸ばして蛮は撫でた。
「───あそこに居られるもんなら居たに決まってるよな」
 触れても銀次は目を覚まさない。
 ただ健康的で安らかな寝息が、静かに零れるばかりだ。
 そんな眠ったままの相棒を見つめながら、蛮はひそやかに呟く。
「お前が、ただ外に出たいからって仲間を捨てるわけがねーってこと、何で分かんねーんだろうな。ずっと一緒に居たくせによ。
 たかが俺に出会ったくらいで、お前が自分を慕ってくれる仲間を捨てるわけがねぇ。逆恨みなんざされても困るってんだ」
 ま、暇つぶしくらいにはなるけどな、と嘯いて、蛮は取り出したマールボロに火をつける。
 そして細く開けた窓に向けて煙を吐き出し、傾きかけた月を見つめる。

 都会の喧騒も今はもう遠く、夜はただ静かだった。







End.











というわけで、遡ってコミックの最初の頃の話。
蛮ちゃんが、ちと素っ気ないですが、こういう「我儘で短気で絶対に自分が悪いということを認めないサイテーのガキ」の彼が好きです♪
士度&マドカは好きなキャラなので、これからもまた出てくると思います。
そのうち、士度&マドカが主人公のラブストーリーも書きたいですね〜。






BACK >>