※パン職人×大学生

Love at the core

「あれ、こんなところにパン屋あったんだ」
 臨也がその店に気付いたのは、いつもは通らない横道にたまたま入った時だった。
 臨也の通う大学は、都会ではままあることだが、一般教養と専攻学科のキャンパスが離れている。ゆえに、めでたく三回生に進級した臨也も、この春から昨年までとは異なる駅で上下車することになったのだが、新たなキャンパスのある町は、都内とはいえこれまでに全く縁のない、見知らぬ土地だった。
 それを幸いとばかりに臨也は、天与の有り余る好奇心に任せ、時間に余裕がある時はできる限り毎回、異なる経路で駅と大学の間を往復するようになったのである。
 そして今日もキャンパスを出た後、駅とは少し違う方向に歩き出した臨也は、随分な遠回りの末に、そろそろ帰るかと駅の方角に向かって角を曲がった。
 その幾つめかに、その小さなパン屋はあったのだ。
「ちょうどいいから、今日の夜と明日の朝用に買っていこうかな」
 足を止めて店全体を眺め、ガラス窓が綺麗に磨かれていること、少し古ぼけた看板がそれでもヨーロッパ調でセンスの良いこと、そして、窓を透かして覗いた店内のパンが、やたらと美味しそうに見えることを確認した臨也は、自分の第六感を信じてドアを引き開けた。
 臨也の入店と同時に、カロン、とガラスの嵌め込まれた木製ドアの上部についていた小さなカウベルが、やわらかく懐かしい気のする音を立てる。
 そして、
「いらっしゃいませー」
 店内から聞こえてきた、愛想はないものの、意外なほど響きのいい低い美声に、臨也は、おや、とまばたきした。
 何となくのイメージなのだが、パン屋とかケーキ屋とかでは、パートやアルバイトの女性がレジ番をしていることが多いように思う。男性店員というのは結構珍しいのではないかとカウンターに目を向けて、臨也はまた驚きに軽く目をみはった。
 ええと、と男性店員の鮮やかな金髪に、思わず呆気に取られてしまう。
 どう見ても店員の顔立ちは日本人だったから、この金髪は間違いなく脱色して染めているのだろう。居酒屋か、十歩譲ってカフェの給仕なら、こういう頭もありかもしれない。だが、ここはパン屋だ。
 よくこんなのを雇ってるな、でも外見で差別するのは偏見か、でも客商売なら見た目の印象大事だろ、と臨也が自問していると、「あの……?」と男性店員があからさまに困惑した表情で、小さく首をかしげる。
 あれ何その仕草可愛い、ゴールデンレトリバーが首かしげたみたい、と反射的に思い、そして臨也は、その店員が素晴らしく整った顔と長身の持ち主であることに、やっと気付いた。
 年齢は、臨也とどっこいの二十歳前後というところだろう。優男と言い切るにはやや精悍さが勝る端整な顔立ちで、すらりと背が高く、モデルか俳優といっても通りそうな容姿だが、いかんせん、そういった職業とは表情がまるっきり合っていない。
 これだけの顔がついていたら、もっと自意識過剰になるのが普通なのに、エプロン姿の彼は、臨也がどうして自分を見ているのか、まるで分からない、という顔できょとんとしているのである。
 世の中には勿体無い人間もいるもんだねぇと、彼にしてみれば、とんだお節介だろうことを思いながら、臨也はにこりと微笑んで見せた。
 臨也は別にモデルでも俳優でもないが、自分にどんな顔がついていて、それが世間的にどう評価されるかということは、十分に知っている。その顔に特上の笑顔を載せてやると、彼は更に困惑したような表情になりつつも、軽く会釈を返してきた。
 なるほど、躾はいいらしい、と感心しながら臨也は、本来の目的であった店内のパンを物色し始める。
 さほど広くない店内をぐるりと回ってみたが、食べてみなければ実際のところは分からないものの、籠に盛られたりトレイに並べられたりしているパンは、どれもこれも中々に美味しそうで。
 香ばしい匂いをいっぱいに感じながら、楽しく迷った後、臨也は背後を振り返った。
「すみません」
「──あ、はい」
「どれか、お勧めのってありますか?」
 そう尋ねれば、ああ、と彼はレジ横のスイングドアを開けて、カウンターのこちら側へと出てくる。そして、臨也の隣りに立った。
 案の定というべきか、並ぶと臨也の目線は彼の顎の辺りまでしかない。身長185cmくらいか、と感心しながら横目で観察する。すると、彼は考え考え、干し葡萄入りの丸いブールを指差した。
「そのブールとか、すげぇふかふかで美味いと思いますけど……どんなのがお好みですか」
 ふかふか、って何だよ可愛いだろ、と思いながらも、臨也は答える。
「んー、甘いのは好きだけど、甘過ぎないのがいいかな。惣菜パンはあんまり食べない。ドライフルーツとかナッツとか入ってるのは好きだね。あと食事パンも一種類、欲しいかな」
「そうですか」
 なるほど、と納得した風情で、青年はまた小首をかしげる。その可愛い仕草、どうにかならないかなぁと思いつつ、真剣に考えているらしい青年に、臨也は自分でも思いがけないほどの好感を持った。
 好奇心旺盛なあまり、何か一つに深く入れ込むことのない臨也は、恋愛、という意味では、あまり強い興味を他人に対して抱くことがない。ただ、これまで恋人を作ったことはないものの、好ましいと思う相手は女性も男性もあったから、何となく自分は両刀ではないかと思っていた。
 そして、その滅多に動くことのないアンテナが、今、ピピピと目の前の男に反応しているのだ。
「じゃあ、このレーズン入りのブールと、そっちのピスタチオとチーズが入ったのと……、あ、チーズは平気ですか?」
「うん。好きだよ」
「そっすか」
 臨也がうなずくと、ほっと安心したように、こちらを見下ろした青年が小さく微笑む。
 客商売の癖にどちらかというと愛想がなく、ほぼ無表情ばかりだった端整な顔立ちに浮かんだ、はにかむようなその笑みは。

 ───臨也の、鋼鉄ワイヤー並みの剛毛が生えていると自他共に認める心臓を、まともにぶち抜いた。

 決して心臓に持病などないのに、どくん、と鼓動が鳴って、胸の奥がきゅうっと切なくなる。
 なんだコレ……!?と臨也が慌てるうちにも、青年は商品棚に向き直り、幾つかのパンを示した。
「食事パンは何も入ってないのがいいのなら、そっちのライ麦パンか、バゲットもうちの自慢なんでハーフサイズか……。あ、そっちのデニッシュも美味いですよ。さくさくで。上に載ってるコンポートも全種類、自家製です」
「あー、じゃあその辺もらう……今日の夜と明日の朝の分、適当に載っけて」
 自分でパンを取ったら、うっかり取り落としてしまいそうな気がして、臨也は青年にトレイを押し付ける。
 すると青年は素直にそれを受取って、手際よくパンを載せた。
「ライ麦パンとバゲットは、どっちがいいっすか?」
「……君のお勧めの方で」
「──じゃあ、バゲットのハーフにしときますね」
 そう言いながら、ビニール袋に包まれたハーフサイズを取り上げる青年の手をちらりと見て、半秒後、臨也は見たことを後悔した。
 そのすらりとした体型に似合う、指の長いしっかりした手を彼はしていた。形のいい爪は、食品の製造小売業らしく短くぎりぎりまで摘んである。清潔で、器用そうで、よく働きそうな、綺麗な手で。
 何故か、その手に触れてみたい、と思ってしまった自分に、臨也はひどくうろたえる。
 人間は好きだが、あくまでも有り余る好奇心を宥める観察対象としてであって、積極的に触れたいだなどと、これまで一度も思ったことはない。
 なのに、彼の手はひどく気になる。
 触れたらどんな感触なのか、自分の手より温かいのか冷たいのか、触れて確かめてみたい気がするのだ。
 だが、そんな自分に戸惑い、赤面するよりも早く、青年がトレイを臨也に差し向けた。
「こんなくらいでいいですか?」
「あ……、うん」
 トレイの上には、大きな丸いブールと、ハーフサイズのバゲットと、ナッツとチーズの入っている小さな固焼きパンと、ダークチェリーのデニッシュ、そして何故か、クリームパンが乗っていて。
「……クリームパン、好きなの?」
 つい感じたままにそう尋ねると、青年は少しばかり照れた顔になる。
「あー……、俺も甘いもん、好きなんで」
「そうなんだ」
「はい。似合わないって、よく言われるんすけどね」
「いいんじゃない? 好きなもの食べるのって幸せな気分だし」
 一人でカフェでケーキを頼むのも全く平気な臨也が、そう言葉を返すと。
 決して背の低くはない自分より上背のある、モデルか俳優のような外見の男。そんな男が、うっすら頬を染めつつ、恥ずかしげに、でも嬉しげに笑う。
 人並みの感性を持っている女性かバイの男が、これで恋に落ちなかったら嘘だった。
「じゃあ、これでいいですか」
「うん、ありがと」
 あー、どうしよう、とやけに足元がふわふわするのを感じながら、臨也はレジに向かう青年について店内を横切る。
 そして、大きくて綺麗な手がパンを包むのを、じっと見守った。
「……ねえ、君もパン職人なの?」
「はい。まだ三年目に入ったとこなんで、見習いみたいなもんすけど」
 三年、ということは高卒すぐに就職したのなら、臨也と同い年だ。それだけのことにちょっとだけ嬉しくなりながら、臨也は質問を重ねる。
「じゃあ、君が作ったパンもあるんだ?」
「あー、まあ。バゲットとかデニッシュとか難しいのは、まだ店に出せるレベルじゃないんすけど」
 俺はあまり覚えのいい方じゃないんで、と端整な顔立ちには不似合いな、不器用そうな表情を見せるのに、臨也の心臓はいよいよ騒ぐ。
 俺を萌え殺す気!?、と掴みかかりたくなるのを、ぐっとこらえながら、じゃあ、と質問を続けた。
「君が作ったやつ、どれ?」
 そう尋ねると。
 紙袋にパンを詰めていた青年の手が、ぴたりと止まった。
 なんで、と考えて、勘のいい臨也は、すぐにピンと来る。
「分かった! クリームパンだ!」
 両手をぱんと打ち合わせて、そう告げた途端。
 ───青年の顔が、かっと赤くなった。
「あー、図星だ」
 当たったのが嬉しいやら、赤くなるのが可愛いやら、そのクリームパンをさりげなくトレイに載せた辺りが、やっぱり嬉し可愛いやらで、もはや臨也の胸のときめきは、どうしようもないレベルにまで駆け上る。
「なんでそんなに恥ずかしがるんだよ。わざわざトレイに載せたんだから、自信作なんじゃないの?」
「……あ……いや、そりゃ不味いもんは店に出せねぇし、失敗作だとも思ってねぇけど……」
 勘弁してくれ、と真っ赤な顔で呻くのに、ああこれも新鮮だなぁ、と臨也は微笑む。
 丁寧な接客も好ましかったが、おそらく地であるのだろう少し乱暴な若者言葉も、また彼の少し悪っぽい精悍な外見に良く似合っている。
「あー。……不味かったらよ、文句言ってくれていいから……」
「うん。食べたら感想言いにくるよ」
「〜〜〜〜〜」
 にっこり笑って言えば、彼は更に困惑しきった顔になった。
 おそらく、面と向かって感想を言われるのは恥ずかしい方なのだろう。だが、来るなとも言えない。そういう葛藤が、まるっきり透けて見える。
 ああ彼は嘘がつけないタイプなんだな、と思いつつ、臨也は小首をかしげて、先程から気になっていたことを問いかけた。
「ねえ、君、なんて名前?」
「……は?」
「だから、名前。教えてよ」
「……平和島」
「下の名前は?」
「……静雄。静かにオスって字」
 食い下がれば、なんで、という顔をしつつも青年はフルネームを教えてくれて。
 そのことに臨也は、ひどく満足する。
 そして、恋に落ちた瞬間の衝撃を通り越して、いつもの自分の調子が戻ってきつつあるのを感じながら、にっこりと笑った。
「そう。平和島静雄さんね。俺は折原臨也。折れる原っぱに、臨海線の臨にナリで臨也。今日買ったパンが美味しかったら、これからも時々来るから覚えてね、シズちゃん」
「は……!?」
 シズちゃん、と咄嗟に思いついた呼び名で呼ぶと、彼は切れ長の目をまん丸にした。
「静雄だから、シズちゃん。ヘイワジマ、って長くて言いにくいじゃないか」
「だったら静雄でも……!」
「そんなん平凡だし、可愛くないから却下」
「かわ……っ!?」
 目を白黒させて絶句する青年──静雄に、臨也はにっこり微笑んでみせる。
 そして、レジに表示されていただけの金額を財布から取り出して、トレイの上に置いた。
「ほら、お会計してよ」
 催促してやれば、混乱の極地と言った風情でも彼はトレイの上に載った札と小銭を数え、レジの中に収める。
 そして、パンの詰まった紙袋を臨也に渡した。
「ほらよ」
「お客様には、ありがとうございましたまたおいで下さいませ、でしょ? 深夜のコンビニアルバイト店員じゃあるまいし、ずぼらは駄目だよ、シズちゃん」
「シズちゃんっつーな」
「駄目。もう決めたもん。シズちゃんはシズちゃん。あ、俺のことは好きに呼んでね。臨也でも臨也様でも臨也ちゃんでも」
 あ、ちゃんはさすがに寒いか、ととぼけて呟くと、目の前の彼は疲れ果てたように、大きな溜息をついた。
「もういい。さっさとそれ持って帰れ」
「だーからー」
「ありがとうございました。またおいで下さい。──これでいいだろ」
「──OK」
 上出来、と微笑んで、臨也はじゃあね、と右手を揚げる。
「また来るから」
「もう来んな」
 そんなぞんざいな言葉が背中めがけて飛んでくるのに、あはは、と笑いながら臨也は店を出る。
 カロン、とドアのカウベルが鳴るのを聞きつつ、店を出たところの路上で立ち止まり、そこで腕に抱えた紙袋を覗き込んだ。
 香ばしく焼けた小麦粉とバターの、幸福、としか形容のできない美味しそうな匂いが立ち昇る。否、匂いだけではなく、きっと味も最高だろう。よい素材を使って、上手に焼き上げなければ、こんな匂いにはならない。
「よし、今日はちゃんと夕飯作ろう」
 料理はできるのだが、面倒くさくて外食やテイクアウト、あるいはコンビニで済ませることも少なくない。だが、今日はパンに合う煮込み料理でも作ろう、と臨也は冷蔵庫の中身の検討を始める。
 そして、明日の朝は、大学に行く前にクリームパンの感想を伝えに行くのだ。
 きっと彼は、臨也を見た瞬間に嫌そうに眉をしかめるだろう。だが、美味しいと告げたら、きっとまた赤くなって嬉しがるに違いない。
「だから、美味しくなかったら許さないからね」
 不味い、と告げて怒らせるのも楽しそうだが、それはもう少し仲良くなってからだ。最初のうちは褒め殺しにしてやろう、と臨也はひそかに心に決めて、小さなパン屋を振り返る。
「じゃあね、シズちゃん。また明日」
 ガラス戸の向こうに見える人影に、そう声をかけて。
 臨也は弾むような足取りで、駅に向かって歩き出した。

End.

おろ様が考えて下さった、シズちゃん=パン職人なパラレルです。
メールを拝見した瞬間に萌えが爆発して、こんなんが出来上がりました。
本当はシズちゃんがパン職人を選んだ理由とかもあったのですが、今回は上手く入りませんでした。しょぼ。
リベンジの機会がありましたら、その時には……!
なお、タイトルは、製作BGMのアルバム名からいただきました。

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