DAY DREAM -Precious Day-

 高層マンションを見上げながら、念のため、電話をかけてみる。
 だが、予想通りに応答はない。
「ったく、あの馬鹿……」
 溜息をついて携帯電話をポケットにしまい、代わりに財布から鍵を取り出して、静雄はマンションのエントランスに向かった。




「邪魔するぞ」
 合鍵を使って勝手に立ち入った室内の照明は、薄明かり程度に落とされていた。
 しんと静まり返った広い部屋には一見、人の気配はない。だが、静雄の少々人間離れした感覚は、メゾネット式の二階に馴染み深い気配を感知する。
 軽く眉をしかめ、だが、そちらに向かう前にキッチンへと足を向ける。
 ざっと見回すと、連絡をもらった通りにレトルト食品が申し訳ばかりにコンビニの袋に入ったまま、カウンターに放置されていた。
 中身を確かめれば、それなりに胃に優しそうなものばかりではある。どうやら矢霧とかいう秘書の女は最低限の気遣いはしてくれたらしい、と思ったものの、しかし。
「あっためるだけってのもな……」
 呟き、少し考えてから静雄はワイシャツの袖をまくり上げる。
 そして、勝手知ったるキッチンのカウンター下を開け、取り出した三合ばかりの米を磨いで、手際よく炊飯器にセットした。
 それから、やっと二階へと向かう。
 階段を昇って直ぐのドアを開け、そっと中に踏み込んで。
 臨也、と声はかけなかった。足音を殺し、静かにベッドに近付く。
 そして枕元に立って見下ろしても、ベッドの上の臨也は目を覚まさなかった。
 そっと手を伸ばして頬に触れると、ひどく熱い。額には冷えぴたが貼ってあるが、既にぬるくなってしまっており、大して意味は無さそうだった。
「──こんだけ具合悪いんなら、俺を呼べよ」
 溜息をつき、この様子なら簡単には起きないだろうと、静雄は臨也を見つめる。
 頬も額も、触れた感触は乾いていたから、熱はまだまだ上がっている最中なのだろう。呼吸は浅く、頬も赤らんでおり、見るからに苦しげだった。
 頼りない冷えぴたよりも、直接冷やしてやった方が楽だろう、と思いついて静雄は踵を返す。
 そして洗面器一杯の冷水とタオルを片手に戻ってきて、ベッドの端に腰を下ろし、冷水で濡らしたタオルを絞って、冷えぴたをそっとはがした額に載せてやる。
「心配させてんじゃねぇよ、馬鹿ノミ蟲」
 溜息未満の呟きを零して。
 少しずり落ちていた掛け布団を肩まで引き上げてやり、熱を孕んだ黒髪をそっと梳いた。




「……シズちゃん……?」
 臨也が意識を取り戻したのは、静雄がここに来てから一時間ほどが経過した頃だった。
 ぼんやりと目を開け、ニ、三度まばたきする。その動きさえも、ひどく物憂げで本調子ではないことが知れる。
「気がついたか」
「なんで……?」
 状況が把握できないのだろう。ぼうっとした目付きで静雄を見上げ、問いかけてくる。
「お前の秘書に連絡もらった。矢霧とかいったか」
「波江……?」
「そうだ。移るのが嫌だから看病はしたくないけど、雇い主に死なれるのも困るっつってな」

 見知らぬ番号から静雄の携帯に連絡があったのは今日の夕刻、数時間前のことだった。
 訝(いぶか)りながらも出てみれば、聞き覚えのない女の声が、「折原の秘書で矢霧という者よ」と名乗り、そして、臨也がインフルエンザで寝込んでいること、発熱して二日目の今日になって、やっと闇医者からタミフルの処方を受けたものの、容態はあまり良くないことを淡々とした口調で告げた。
 挙句、「あなた、看病してやってくれないかしら。私はインフルエンザを移されるのは嫌だし、かといって、今、折原に死なれても困るのよ」とのたまったのである。
 そして、静雄は恋人が寝込んでいると聞いたら、放っておけるような性格ではない。
 やむを得ず、トムに事情を説明し、いつもよりも少しだけ早めに仕事を上がらせてもらって、ここに来たのだった。

「お前、俺には隠し通す気だっただろ」
 事情を説明しているうちに、意識がはっきりしてきたのだろう。静雄を見上げる臨也の紅を帯びたセピア色の瞳に、しまったと言いたげな光が過ぎるのを静雄は見逃さなかった。
「急な仕事が入っただとか、くだらねえ嘘つきやがって。具合が悪いなら悪いって、正直に言えっつーんだ」
 そういう趣旨のメールを静雄が受け取ったのは、三日前のことである。
 つまり、インフルエンザに罹ったと気付いた時点で、臨也は静雄を遠ざけようとしたのだ。仕事が一段落したらまた連絡するから。そんな風にわざわざ書き添えて。
「……だからって、呼んでもいないのに何しに来たんだよ」
「看病しに来たに決まってんだろうが」
 何を分かりきったことを、と言い返せば、臨也は顔をしかめる。
「要らないよ。帰って。ついでに合鍵も置いていって。こんな風に毎回、不法侵入されちゃ敵わない」
「毎回ってなんだ。合鍵をこういう使い方したのは今回が初めてだろうが」
「一度やったら味を占めるのが人間なんだよ。あ、シズちゃんは人間じゃないけど、その辺は化け物でも大差ないだろ。確かに合鍵を渡したのは俺だけど、だからといって好き勝手出入りしていいと言ったつもりはないんだよ。ただ、俺が仕事で手を離せない時とかに、いちいち椅子から立って鍵を明けるのが面倒だったから、渡しただけなんだし」
「──臨也」
 べらべらと、これが病人かと疑うほど立て板に水の勢いで喋る臨也に、静雄は心の底から溜息をついて名前を呼んだ。
「何」
「俺を怒らせて帰らせようとすんのは止めろ。つーか、お前も分かって言ってんだろ。俺が、お前の居ない時に好き勝手、ここに出入りするわけねぇってよ」
「──そんなの、分かんないだろ。合鍵持ったら使いたくなるのが人情ってもんなんだからさ。それを忘れて渡した俺が馬鹿だったんだ。だから、返して」
「返すかよ、馬鹿」
 もう一度溜息をつき、右手を伸ばして、臨也の黒髪をわしゃわしゃと乱暴にならない程度に撫でる。
「俺に弱みを見せたくねぇってのは分かる。でもしょうがねぇだろ。こんな熱出して、秘書にも見捨てられて、一人でどうする気だったんだ」
「──新羅には往診してもらったよ」
「だからって、あいつは傍について看病してくれるような奴じゃねぇだろうが。こういう時に俺を便利に使わねえで、一体いつ使うつもりなんだよ」
「……世界征服するとき、とか?」
「ンなもん、俺が協力するわけねーだろ。勝手に一人でやってろ。目一杯、邪魔してやるからよ」
「……シズちゃんて、絶対に俺を愛してないよね。俺の悲願を邪魔しようだなんてさ。しかも、ぼっち扱いして」
「手前の友人なんざ、新羅と門田以外に知らねぇし、あいつらがお前の世界征服に手を貸すわけねぇし。ノミ蟲の悲願なんてのは、踏み潰されるためにあるに決まってるだろ」
 そう言う間も、静雄の右手はずっと臨也の髪を撫でており、臨也も気力が無いだけかもしれないが、それを振り払いはしなかった。
「とにかく、俺はもう来ちまったんだからよ。お前は黙って看病されてろ」
「……ヤだよ。俺は黙ったら死んじゃうし」
「死なねぇっての。それにな、臨也」
 名前を呼んで、臨也と目を合わせる。
「どうせ俺は、インフルエンザだろうが何だろうが移りゃしねぇからよ。心配する必要なんかねぇんだよ」
「……心配するわけないだろ、シズちゃんみたいな体力馬鹿のことなんか」
「俺は心配すっけどな。お前が熱出したって聞いたらよ」
「…………要らないよ。帰れ」
「お前の熱が、もう少し下がったらな」
 ああ言えばこう言う臨也の頭を、ぽんぽんと軽く撫で、さて、と静雄は話題を切り替えた。
「食欲はねぇだろうけど、何か食えるか? 飲まず食わずじゃ治るもんも治らねぇし、新羅の置いてった薬も、食後って書いてあったしな」
 そう問いかけると、臨也は目を伏せたまま少し考える素振りを見せ、食べるよ、と呟いた。
「君の言う通りなのはムカつくけど、食べなきゃ体力維持できないし」
「分かった。じゃあ、待ってろ」
「……何作ってくれる気か知らないけど、それ作ったら帰ってよ」
「お前の言うことを、俺が聞いたことがあったか?」
 無駄なことを言ってんじゃねぇと笑って、静雄は寝室を後にする。
 そして階下に降りてから、携帯電話を取り出した。

「──もしもし、俺です」
『おう、どうだった?』
「やっぱり駄目っすね。熱が結構高いみたいで、完全に潰れてます。なんで、申し訳ないんすけど……」
『ああ、そんなこったろうと思ってたぜ。分かった。社長には俺から言っとくから、明日は休めよ』
「ありがとうございます」
 心の底からそう告げると、電話口の向こうでトムは小さく笑った。
『なんか思い出しちまうなぁ。お前らが付き合うようになったきっかけも、こんな感じだったろ。もう一年以上前になるんだよな』
「──そう、ですね」
『最初聞いたときは、とうとう池袋滅亡かと思ったが、結構仲良くやってるみてぇだしな。良かったぜ、マジで』
「まあ……、でも、喧嘩はしょっちゅうなんすけど。あいつは、とにかく俺を怒らせる天才なんで……」
『でも、だからって相手に愛想尽かしたりとかはねぇんだろ? だったら、そりゃあただの痴話喧嘩で、喧嘩の内には入らねぇって』
「はあ」
『ま、とにかくお大事にってな。折角休むんだから、しっかり看病してやれよ』
「はい。じゃあ、すみませんでした。遅くに電話しちまって」
『いいってことよ。じゃあな』
「はい」

 電話を切り、小さく溜息をついて静雄は携帯電話をポケットにしまう。
 言われてみれば確かに、前回に有休を取ったのも一年余り前、臨也が熱を出して倒れたせいだった。
 だが、あの夜のことがなければ、多分、今の自分たちもなかった。そういう意味では、とてつもなく大きな意味を持っていた一日ではある。
 それからしばらくして、静雄と臨也は付き合い始めたのであり、更に数ヵ月が経過する頃までにトムや新羅、セルティに門田といった身内の面々にも、二人の関係は芋蔓式にバレた。
 その点について、静雄は最初から気にしていなかったが、職業柄、保身に敏感な臨也は二人の関係をオープンにすることを嫌がっており、彼らにバレた時には結構な勢いで静雄に八つ当たりした。──バレた原因は、どちらかというと、わざわざ静雄の顔を見るために、仕事と称して頻繁に池袋にやってくる臨也の方にあったのだが。
 もっとも、バレた全員が全員、語られるべきこととそうでないことをわきまえている連中だったために、現時点ではそれ以上には二人の関係は広まっていない。
 そんな感じで、頻繁に喧嘩──俗に言う痴話喧嘩を繰り返しながらも、二人は既に一年近く、交際を続けていた。
 それも多分、かなり甘ったるく、幸せに。

「粥じゃ味気ねぇし、卵雑炊にすっかな」
 キッチンに立ち、行平鍋を下ろして少しだけ思案してから、静雄は水と出しパックを放り込んでコンロにかけ、煮立たせて出し汁を作る。
 そして少し薄味に味付けから、臨也が目覚める少し前に炊き上がって、冷凍保存するために一食分ずつ小分けにしてあった米飯のうちの一つを鍋に投入した。
 全体をざっと混ぜて、溶き卵をふんわりと流し、小口に切ったネギを散らす。
 そして火を止め、大き目のトレイに行平鍋と茶碗にレンゲ、白湯の湯のみを載せて、二階へと戻った。
「起きてるか?」
「──うん…」
 かろうじて返事は返ったものの、ベッドの上に転がった臨也はかなり辛そうだった。
「無理すんなよ。食っても、戻しちまったら意味ねぇんだからよ」
「大丈夫……胃がムカムカしてるわけじゃないから。死にそうにだるいし、頭も割れそうに痛いけどさ」
「……薬は一応、食後って指示だしな」
 仕方ない、と静雄はサイドテーブルにトレイを置き、臨也の身体を支えて起き上がらせる。
 そして、少し考えてから、自分がベッドの上に乗り上げて腰を下ろし、膝の上に臨也を抱え上げて、自分に寄りかからせた。
 もちろん布団と毛布をも引き寄せて、寒くないように細い身体をくるむ。
「しんどいんだろ。こういう時くらい、大人しくしとけ」
 小さく抵抗しかけた臨也の身体を軽く左手で抑え込んで、右手だけで行平鍋から茶碗に雑炊をよそい、レンゲと共に毛布の端から出ている臨也の手に持たせた。
 すると諦めたのか、臨也はもそもそと食べ始める。
 いつもに比べると、ひどくゆっくりではあったが、一口ずつ確実に咀嚼し、呑み込んでゆくのに静雄はほっと安堵した。
 具合が悪くとも、食べられるのなら、大抵は大丈夫なものだ。静雄自身は物心付いてから寝込んだ経験はなかったが、弟は普通の体力の持ち主で、何年かに一度は風邪で寝付いていたから、その辺りのことは何となく見当がつく。
「──ねえ、シズちゃん」
「ん?」
「作ってもらっといて、アレだけど。全然、味しない」
「あー、お前、熱出すと味覚が無くなるタイプか」
「うん。特に塩味が分かんなくなる。なんか、米のえぐみ? 苦いみたいな感じしかしない」
「そりゃ仕方ねぇな。ちょっと薄味に作ったから、余計にそう感じるんだろ」
「そうなの?」
「ああ。幽がお前と逆で、熱出すとやたらと味覚が敏感になんだよ。何食ってもしょっぱいって言うもんだから、ついその感覚で作っちまった。悪かったな」
「……別に、いいけど。こういう状態だと、かなり濃く味付けされたって、多分、分かんないし」
「そうか」
 宥めるように黒髪を撫でてやると、臨也は抵抗しなかった。
 そして、時間を掛けて茶碗一杯分の卵雑炊を平らげる。
「ごめん、もう限界」
「十分だろ。こんだけ熱あって、これだけ食えたんなら上等だ」
 米の量でいうのなら、茶碗に半分ほどだろう。だが、それでも大したものだと思えたから、素直にその根性を賞賛して、薬と白湯の湯呑みを手渡す。
 臨也がそれを飲むのを見届けて、静雄は元通りにベッドに寝かせてやった。
 肩まですっぽりと羽毛布団で覆ってやり、もう一度、冷水で絞ったタオルを額に載せてやる。
「とりあえず寝ちまえ。俺は風呂借りて入ってくるから」
「……帰れって言っただろ」
「帰れるわけねぇだろ。明日は仕事も休みもらったしな。ちゃんと傍にいてやるから、安心して拗ねてぐずってろ」
「はぁ? 休み? シズちゃん、何言ってんの?」
「いいんだよ、こういう時くらいしか、俺が有給を消化する機会なんてねぇんだし」
「余計なお世話だよ。とっとと帰って、明日も仕事行って」
「行かねえっての」
 はいはい、とまた黒髪をかき回して、静雄はクローゼットに歩み寄り、自分用の引き出しからパジャマと下着の替えを取り出す。
 そして、それを小脇に抱え、トレイを手に寝室を出た。




 手早くシャワーと歯磨きを済ませ、戻ってくると、臨也はうとうととしていたのだろう。ぼんやりと目を開く。
 そして、物憂げにまばたきしながら、今何時、と尋ねた。
「0時半。もう終電もねぇよ」
「───…」
 そう答えると、ひどく複雑そうな顔をする。
 静雄はベッドの縁に腰を下ろし、臨也の額のタオルを冷水で絞り直してやる。ひんやりと冷たいタオルを額に載せてやると、多少なりとも辛さが和らぐのだろう、セピアの瞳がほっとしたように微かに細められた。
 そして、そのまま静雄を見つめる。
 言いたいことがあるのか、それとも、ただ見ていたいだけなのか。分からないながらも、その沈黙に付き合ってやっていると。
 シズちゃん、と臨也が呼んだ。
「何だ?」
「シズちゃんて、本当に風邪引かないの? インフルエンザも?」
「少なくとも、小学校に入ってからは一度もかかったことねぇな。幼稚園の頃には、おたふくだの水疱瘡だの一通りやったらしいけどよ」
「……そう」
 そのまま、また臨也は黙り込み。
 三十秒ほど経ってから、もそりと動いた。
 少しだけ自分の身体を、無駄に広いクイーンサイズのベッドの奥にずらし、布団を持ち上げる。
「もし移ったって、俺は看病になんか行かないけど」
 そんな台詞で同衾を誘われて、静雄は小さく微笑む。
 本当にこいつは可愛くねぇところが、メチャクチャ可愛い。そう思いながら、ゆっくりと長身を布団の中にもぐりこませる。
 そうして落ち着くと、臨也がそっと寄り添ってきた。
 熱を帯びた身体を胸に抱き寄せ、ずれた濡れタオルをもう一度額に載せ直してやる。
 すると、臨也が腕の中で小さく息をつき、体の力を抜くのが感じられた。
「……俺さぁ、本当にシズちゃんには来て欲しくなかったんだよ」
「ああ」
「インフルエンザで寝込んでるとこなんか、見られたいわけないじゃん。他の誰だって嫌だけど、シズちゃんはもっと嫌だ。一番嫌だ。死にたいくらい嫌だ。ていうか、いっそ死んで」
「まぁ、そんなことだろうとは思ってたけどよ」
「なのに、来ちゃうんだからさ。シズちゃんのそういうとこ、俺、本当に嫌い」
「別に構わねぇよ」
 臨也がひねくれているのも、意地っ張りで弱みを見せたがらないのも、今に始まったことではない。
 逆に、追い詰められてもいないのに素直に振る舞う方が、余程正気を疑うだろう。
 擦り寄ってくる身体とは裏腹な言葉ばかりを口にする。それが臨也であり、静雄はそれ以上を望んだことは一度も無い。
「──シズちゃん」
「ん?」
「……ごめん」
「──何がだ?」
 不意に謝られて、静雄は目をまばたかせ、胸元に収まっている臨也の黒い頭を見下ろす。
 すると、すり…と臨也の頭が胸に擦り付けられるようにして、更にうつむいた。

「シズちゃん、昨日、誕生日だっただろ」

 言われて。
 そういえば、と気付く。
 日付はもう変わってしまったが、確かに昨日は1月28日だった。
「……覚えててくれたのか」
「……シズちゃんの鳥頭と一緒にしないでよ」
 不貞腐れたようなくぐもった声に、静雄は、そういうことか、と微笑む。
 今夜、やたらと突っかかってきたのは、単に熱のせいだけではなかったのだ。
 おそらく、臨也は臨也なりに静雄の誕生日のことを覚えていて、祝いたい気持ちは持っていたのだろう。
 だが、自分が直前にインフルエンザに罹ってしまったことで、誕生日にかこつけた嫌がらせにせよお祝いにせよ、何もできなくなってしまった。そのことが、きっと悔しかったのだ。
 だから八つ当たり気味に、やたらと帰れと連呼したのに違いない。
「ありがとな、臨也」
「──何が」
「覚えててくれたじゃねぇか。俺は一度も、誕生日なんかお前に教えた覚えなんかねぇのによ」
「……シズちゃんの誕生日なんて、高校生の時から知ってたよ。俺は素敵で無敵な情報屋さんなんだから、当たり前だろ」
「そうか」
 憎まれ口を叩く臨也が愛おしくて、こめかみにキスを落とす。
 唇に触れた肌は、やはり熱くて、愛おしいと同時に切なくもなった。
「なぁ、臨也」
「……何だよ」
「お前の熱が下がって、元気になったら、どっかに飯でも食いに行こうぜ。うちの事務所もまだ繁忙期じゃねぇから、多分、来週辺りには普通に休みがもらえるはずだしよ」
「…………」
「お前の方は、仕事、忙しいか?」
「……やることはいつだってあるし、忙しいけど、」
 でも、と小さな声で臨也は続ける。
「いいよ。卵雑炊のお礼代わりに、俺が奢る」
「そんなん気にすんな。雑炊なんて料理の内に入らねぇし、俺がやりたくてやってるだけなんだしよ」
「……じゃあ、さ」
「ん?」
「今回は俺が奢るから。今度、五月の俺の誕生日は、またシズちゃんが奢ってよ」
 小さな小さな声で、ねだられて。
 静雄は小さく目を瞠った後、微笑む。
「いいぜ」
 昨年の臨也の誕生日は、既に二人が付き合い始めてからのことだったから、二人で食事に行くくらいのことはした。
 といっても、行き先は、いつもと同じその辺の居酒屋で、取り立てて変わった何かがあったわけではない。
 互いに、そういうイベントには不慣れで、プレゼントも何もなかったが、それでも静雄は十分に幸せだったし、臨也もそうだったのだろう。
 少なくとも、今年もまた同じ事を繰り返したいと、そう望むくらいには。
「じゃあ、今夜はもう寝ちまえ。寝ないと熱も下がらねぇだろ」
「──うん…」
 珍しく素直にうなずいて、臨也はことんと静雄の胸に頭を預ける。
 新羅の処方してくれた薬には、当然ながら催眠効果もあったのだろう。程なく、いつもよりは少し浅く、荒い寝息が零れ始める。
 その身体を、臨也が楽なように抱き直し、細い背中をそっと撫でてやりながら、静雄もまた、目を閉じる。
 ケーキもプレゼントも無い、おめでとうの言葉すらない誕生日だったが、今年は時刻的にはギリギリだったとしても、臨也と……誰よりも愛おしい恋人と過ごせた。
 その一点で、自分は十分過ぎるほどに幸せだと思う。
 ───来年もまた、一緒に過ごせたらいい。
 できれば、今度は臨也が元気な状態で。
 そんな風に祈りながら、静雄もゆらゆらと眠りの淵に落ちていった。

End.

静誕お祝いしたかったのにしょーもない理由で全ておじゃんになってしまう、日本一残念な臨也を目指してみました(笑)
でも、そんなことで二人の愛は揺らがないのです。
また一年、仲良く喧嘩してくれますように。
そんな祈りを込めて、シズちゃんHappy Birthday!!

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