NOISE×MAZE  04:微笑むその姿が

 この状況をどう評したらいいのだろう。
 爽やかな朝だった。空にはわずかな雲が浮かぶばかりで、すっきりと晴れた空が窓の外には広がっている。
 超高層マンションの最上階であるこの部屋の見晴らしは最高で、こんな風に天気がいいと本当に気分がいい。
 それなのに、その朝の光の中。
 ダイニングキッチンで朝食を作っているのは、何故か、金髪バーテン服なのだ。

 黒無地コットンのエプロンを着け、手際よく葱を刻み、アジの干物の焼き加減を確認する。
 いかにも手馴れた様子で朝食を作るその後姿は、背が高く足も長くスタイルが良過ぎるが、まるっきり日本のお母さんだ。
 一体これは何なんだ、と臨也は頭痛を覚えずにはいられなかった。

「……おはよ、シズちゃん」
「おう」
 臨也が声をかけると、別に愛想がいいわけではないが普通に返事が返ってくる。
 そのことからしておかしかった。
 高校入学直後に知り合って以来、自分たちは顔を合わせる毎に殺し合いを始める関係だったはずだ。以来、八年。こんな和やかな朝を迎えることがあるとは、一体誰が想像しただろう。
 だが、現実に静雄は、黙々と四人分の朝食を作り続ける。
 昨夜のうちに下ごしらえしておいた切り干し大根の煮付けに、味噌汁に、アジの干物。箸休めを兼ねた御飯の共に、明太子と昆布の佃煮。
 なんだコレは。
 何か間違ってないか。
 だが、最大の間違いは、静雄がこの家で朝食を作るのは、これが既に10回目を超えている、という事実だった。

「おい、そろそろ出来上がるから、二人を起こしてきてくれ」
「分かった」
 ぼんやりと後姿を眺めていたら、そんな風に声がかけられる。
 反論するほどのことでもないから、臨也は言われるままに二階へ続く階段を昇り、図ったように四つあるドアを眺めて溜息をついた。
 右手側の二間のうち奥側は、以前から臨也の寝室だった。そして、少し前から手前の部屋がサイケの寝室になった。
 残る左手側の二つは完全な空き部屋だったのに、今は奥側が静雄専用と化した客間、手前が津軽専用と化した客間だ。
 何かが完璧に間違っている。
 そう思いながら、臨也は津軽の部屋をノックした。
「津軽、起きてるー?」
「あ、はい」
 ドア越しにすぐ返事があって、二秒後にドアが開かれる。
「おはようございます」
 姿を現した津軽は、既に身支度を整えていた。いつもながらの銀鼠色の着流しは、オリジナルと瓜二つの端整な外見に良く映えている。
「そろそろ朝御飯だから、サイケを起こして下に来て」
「はい。すぐに行きます」
 臨也の言葉にこくりとうなずき、津軽は素直にサイケの部屋に向かう。

 臨也に似て低血圧のサイケは朝に弱く、簡単には起きない。
 臨也も暇ではないため、普段は起きるまで放っておくのだが、静雄と津軽が来ている朝は、静雄が朝食は揃って取るのが当然と思っている節があるため、臨也もスケジュールに関係なくまともな時間に起床して、サイケも津軽に起こさせるのが習慣となりつつある。
 おそらくサイケは、今朝も津軽に散々甘えてむずかりながら目を覚ますのだろう。
 サイケの寝起きのぼんやりした様は、本当に自分のクローンかと疑うほどに子供っぽくて可愛らしいのだが、その可愛らしさ全開で津軽に甘えている様子を目にする気分は、正直、溜息ものだった。
 何でこんなことになったんだか、と思いながら、臨也は階下に下りる。
 そして、そろそろ配膳を終えようとしている静雄の隣りに立ち、コーヒーを入れるためのケトルをコンロにかけた。

「ねえ、シズちゃん」
「ん?」
「あの二人にさ、携帯電話を持たせようかと思ってるんだけど」
 コーヒー豆とミルを棚から下ろしながら背中越しに告げる。
「──なんでだ」
「んー、便利だから、かな」
 和朝食の後にコーヒーというのもおかしいが、朝は飲まないとどうにも目が覚めた気がしないのだ。
 そして、それには静雄も文句を言わず、つきあってくれる。ただし、彼を含めた他三人は、カフェオレといえば体裁良く聞こえる、どちらかというと牛乳の方が多いコーヒー牛乳だったが。
「毎日じゃないにせよ、仕事の後に津軽を連れてくるのも大変でしょ。昨夜みたいに、あいつらがイチャイチャしてるせいで終電を逃しちゃうことも多いし。だから、携帯を持たせれば、わざわざ時間のない日にうちまで来る暇が軽減できるかなって」
 ごりごりとミルでコーヒー豆を挽きながら、臨也は理由を説明した。
「サイケも、津軽が居なくなるとすぐに寂しがるしね。でも、いつでも電話で声を聞けるのなら、べそをかく回数も減ると思うし」
「──まあ、確かにな。俺も昼間、うちにアパートに一人きりで津軽を放っておくのは気になってた」
「本当は、うちで津軽を預かれればいいんだけどね」

 最初は、そういう案もあったのだ。
 だが、どういうわけか、クローンはオリジナルと離れることを極端に嫌がるのである。半日くらいならいいが、丸1日以上、オリジナルとの接触がないと精神的に不安定になるのだ。
 口数が少なくなり、見るからに表情から生気が失せる。
 最初に試した時は、サイケが何をどう言おうと、静雄が姿を現すまで津軽の鬱状態は解消しなかった。
 その原因を新羅に尋ねたところ、それはおそらく、クローンズの精神年齢が幼いからだろうという診断だった。
 外見はどうあれ、サイケも津軽もこの世に生を受けてから、まだ四年と少しである。その上、ラボを出た今、庇護してくれる人間はオリジナルしか知らない。
 つまり、幼児が親の姿を追い求めるようにオリジナルを求めるのだろう、という説明に、臨也は深く納得した。
 その結果、仕事の後やオフ日に、静雄が津軽を連れてこのマンションを訪れるようになったのである。

「津軽は君なしじゃ駄目だし、うちには俺のお客も来る。絶対に仕事部屋の応接間以外には立ち入らせないけど、このマンションの所在が知れているのは確かだし。本当はサイケも置いておきたくないくらいなんだから、津軽なら尚更、責任が取れない」
「──手前の口から責任なんて言葉を聞くなんざ、妙な気分だな」
「君に対してならね、口が裂けたって言わないよ。君だけじゃなくて、他の誰に対しても。俺は自分の手がける仕事以外には何の責任も取らない。……でも、あの子達だけは別」
「……妹たちも、だろ」

 不意にそう言われて。
 臨也は思わず、静雄を振り返った。
 こちらを真っ直ぐに見つめていた静雄は、揶揄するでもなく、ごく自然な温かみのある表情を浮かべていて。

「お前にとって、サイケはあの二人と同じ『身内』になっちまったんだろ。分かるぜ、俺もそうだからな」
 そう言い、静雄はふっと笑った。
「俺は幽に何かあったらキレるし、津軽が泣くようなこともしたくない。お前もだろ。津軽に何かあれば、サイケが泣く。そうなるのは避けたいんだろ」
「──シズちゃんのくせに分かったようなこと言って」
「違うって言うんなら、反論してみろよ」
 今度は、ふふんと笑われる。
 そして静雄は、ふと気付いたように着けたままだったエプロンを外しながら言った。
「ま、いいんじゃねえ? 携帯ってのは悪い案じゃないだろ」
「うん。シズちゃんさえOKなら、電話代は俺持ちで構わないからさ。どうせ俺名義で契約するから」
「そりゃ助かる」
「じゃあ、早速今日、用意するから、夜にまた来てよ」
「おう」
 そうして話が纏まったところに、ちょうどよくサイケと津軽が下りてくる。

「臨也、シズちゃん、おはよー」
「……おはよう、静雄」
「おう」
「おはよう、サイケ」

 まるで家族のように朝の挨拶を交わして、テーブルのそれぞれの席に着き、いただきますと手を合わせる。
 それは実に奇妙な、だが極ありふれた朝の光景だった。

*             *

「あなたも迂遠なことをしているわね」
 不意に波江にそう言われたのは、2台の携帯電話を新たに契約して持ち帰ってきた後だった。
 携帯電話の使い方は、夜に2人まとめて教えればいいと、ひとまず仕事部屋に戻った途端、波江はファイルを整理する手を止めずに言った。
「携帯電話なんか買うより、一緒に暮らした方がよっぽど早いんじゃないの」
「……一緒に、って、まさかシズちゃんと暮らせと言ってるんじゃないだろうね?」
「そのまさかよ」
 当たり前のことのように、波江は言い放った。
「今現在でも、殆ど半同棲じゃない。それを同棲にするのに何の問題があるわけ?」
「ありまくりだろ。それ以前に同棲じゃない。ちょっと家に泊めてやってるだけだ」
「いい歳してプラトニックだなんて、何やってるのよ」
「よしてくれ、プラトニックもフィジカルもない。俺はシズちゃんにそういう感情を抱いたことは一度もない」
 あの静雄と、今以上に距離を近づける。
 想像しただけで、ぞっと鳥肌が立って、慌てて臨也はその光景を脳裏から振り払う。
「あら、てっきりあなたは、あのバーテン服を愛してるんだと思ってたけど」
「はあ!?」
 思わず臨也は耳を疑って、振り返った。
 だが、波江は涼しい顔で続ける。

「だって、世界中の人間を愛しているのに一人だけは絶対愛せないなんて、その一人だけは個体として意識せずにいられないってことじゃないの。それと愛とどう違うの? 少なくとも私は、世界中で唯一人、誠二しか個体として認識してないわよ」

「それは君だけに通用する極論だろう。俺に当てはめるのは止めてくれ」
 かなり本気で嫌悪を込めて、臨也は波江に反論した。
 彼女は性格に問題ありまくりだが、優秀な助手には違いない。こんなくだらないことで諍(いさか)いはしたくなかった。
「とにかく、あの化け物を俺がどうこう思うことはないし、一緒に暮らすのも論外だ。二度と言わないでくれ」
「──分かったわ」
 少しばかり語気を強めて言うと、波江はあっさりと興味をなくしたようにうなずいた。
 もともと弟以外は認識する気のない彼女である。雇い主のことでさえ、本音では生きようと死のうと関係ないのだろう。
 ましてや、雇い主が誰を愛するかという問題など、明日雨が降るかどうかという情報に比べても塵芥ほどに軽いに違いない。
 にしても、臨也と静雄がどうこうという発想が一体どこから出てくるのか。
 ──絶対無理。有り得ない。
 ぞわりと背筋に鳥肌が立つのを、頭を振って振り払い、臨也は自分のパソコンに向き直った。

*             *

「だから、このボタンを押せば電話が繋がって、こっちを押せば切れる。分かった?」
「うん」
「……大丈夫だと思う」

 サイケには華やかなアザレアピンクのメタリック、津軽には深みのあるミッドナイトブルーのメタリック。
 臨也が二人のために選んだのは、メールと通話という最低限の機能しかない子供向けの携帯電話だった。それ以上の機能は、恐ろしくてとても付けられないというのが本音である。
 とにかく、このクローンズは頭の中が子供なのだ。余計な情報などシャットアウトするに限る。

「じゃあ、今から俺が電話をかけるから。まず津軽からね」
 二人の番号は、既に臨也の携帯電話には登録してあるし、二人の携帯電話にも臨也と静雄の番号は登録済みだ。
 もちろん静雄の番号は無断でだが、構った話ではない。
 そうして発信すると、約一秒のタイムラグを置いて、津軽の携帯が鳴る。
 津軽は驚いたように目を瞠り、だが、すぐにおそるおそる通話ボタンを押した。
『──はい』
 生とスピーカーからのステレオ放送で津軽の声が聞こえてくる。
「OK。いいよ、津軽。じゃあ電話を切ってみて」
 そう言うと、津軽は電話を耳から離し、じっと操作盤を見つめて電源ボタンを押した。
 隣りでは、サイケがすごいすごいと目を輝かせて興奮している。
「はい、できたね。じゃあ今度はサイケの番だよ。シズちゃん、かけてあげて」
「は? なんで俺が」
「練習だよ練習。ほら、サイケの番号言うから」
 静雄だけを傍観者にしておくつもりはなく、そう言うと、静雄は眉をしかめながらも自分の携帯電話を取り出し、臨也が言う通りの番号を打ち込んだ。
 そして、今度はサイケの携帯電話が鳴ると、サイケは嬉々として通話ボタンを押す。
『はいはい、サイケです♪ シズちゃんですか?』
「おう。何かあったら、こうやってすぐかけてこいよ」
『うん』
 楽しげに話し、じゃあねバイバイ、とサイケは通話を切った。
 その動作の迷いのなさに、臨也は感心する。

 どうやらサイケの幼さは言動のみで、道具に対する順応性や器用さは、臨也が潜在的に有していたものと同じものを持っているらしい。
 これなら、教えればパソコンはすぐに使えるようになりそうだな、と思案する。
 まだ早いが、そのうち玩具として、インターネットに接続していないパソコンを与えてもいいかもしれない。津軽と会えない時間も、きっとそれで紛れるだろう。
 そんな風に思いながら、臨也は今度は二人に、電話をかけさせる練習をする。
 そして静雄にも電話をさせると、「なんで勝手に俺の番号を登録してんだ」と臨也に向かって文句を言いながら、静雄は二人の番号を自分の携帯電話に登録した。

 その静雄が携帯電話を操作する様子を、何となしに眺めながら、こういう日常作業は普通にできるのだな、と改めて思う。
 臨也の観察と新羅の診断に寄れば、静雄の怪力は火事場の馬鹿力と同種のもので、彼の感情がリミッターを超えた時しか発揮されない。普段は、通常の人間と同じく無意識に制御されている。
 ただ、彼の感情のリミッターは極端に外れやすく、また、筋肉及び骨格といった身体能力そのものが尋常ではない。
 そして、その尋常でない身体能力と野性の本能とも言うべき勘の良さで、静雄は臨也が何かを仕掛けるたびに、ことごとくそれを跳ね返し、臨也の計画を幾つも台無しにしてきた。
 だから、彼は『化け物』なのだ。
 身体能力云々は、本当のところは彼を挑発し、侮辱するための後付けの理由であって、臨也の手のひらで踊らない唯一の存在だからこそ、静雄は臨也が愛する人間のカテゴリーには決して含まれないのである。
 ──そう、たとえ、どんなに彼が人間らしく振舞い、人間らしく笑ったとしても。

 臨也の視線の先で、静雄は無邪気に話しかけるサイケに笑い返し、その手を上げて、サイケのやわらかな黒髪をくしゃくしゃと撫でる。
 そうされているサイケは、とても嬉しそうだった。臨也がそうする時と同じように、気持ち良さそうに目を細めている。
 そしてサイケが津軽を振り向き、笑いかけて何か言うと、津軽も微笑んでサイケに言葉を返し、そして同じようにやわらかな表情で静雄を見上げた。
 そんな津軽を、静雄は同じようにその大きな手で撫でる。
 それから静雄は、視線に気付いて臨也にまなざしを向けた。

「何だ?」

 サングラスを外した明るい色の瞳が、敵意も害意もなく、温かな微笑の名残を残して臨也を見つめる。
 臨也は、自分が今、どんな目をしているのか想像がつかず、さりげなく微笑んで目線を壁の時計へと逸らした。

「そろそろ出ないと、終電がなくなるよ」
「ああ、もうそんな時間か」
 気付いたように時計を見上げ、静雄は津軽を見やった。
「そろそろ帰るか」
「──ああ」
 促すと、津軽は名残惜しげにサイケを見やる。
 サイケはためらいなく両腕を伸ばして津軽に抱きつき、津軽もサイケを抱き返した。

「帰ったら電話してね」
「する。明日も朝になったらかけるから」
「うん、待ってる。待ち切れなかったら、俺からかけちゃうかも」
「それでもいい」

 そんな風に甘くささやき合い、互いの頬に可愛らしくお休みのキスをして、やっと二人は離れる。
 こういう状況になって、早一ヶ月。
 臨也も静雄も、とっくに何かを言う気を失くして、横目で見やりながら二人の挨拶が終わるのを待っていた。
 そうしてようやく一同は立ち上がり、臨也はサイケと共に二人を玄関まで見送る。

「じゃあな」
「また来てね、津軽、シズちゃん」
 小首をかしげてそう告げるサイケに、静雄は微笑んで、髪をくしゃりと撫でる。
 それから、まなざしを上げて臨也を見た。
「邪魔したな」
「──ううん。またね」
「ああ」
 そして、行くぞ、と津軽を促して静雄は出て行く。
 パタン、と小さな音を立てて、ドアが閉まり。
「……帰っちゃったね」
 寂しげに呟くサイケの頭に、臨也はぽんと手を載せた。
「またすぐに来るよ。電話もあるんだし。──とりあえず風呂入って、寝る用意するよ」
「うん」
 臨也を見上げ、嬉しげにサイケは微笑む。
 ──津軽が居ないのは寂しいけど、臨也が居るから大丈夫。
 そんな風にサイケが思っているのが伝わり、臨也はもう一度、サイケの頭を撫でてリビングに戻ろうと促す。
 今頃は、静雄もこんな風に恋人と離れた津軽を慰めているのだろうか。
 ちらりとそう思い、すぐにその思いを振り払った。

to be contineud...

長男コンビの静臨。
お兄ちゃん気質の男の人、好きです。

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