千年の孤独 04

 目覚めた時、一番最初に視界に飛び込んできたのは幼馴染の顔だった。
 心配と安堵に裏支えされた憤り。そんな彼の表情を見たとき、安心したのかそうでなかったのか当時の記憶はもう定かではない。
 三日間もどこで何をしていたのかと問われても、記憶はぼんやりと霞んでおり、唯一つ鮮明に思い出されたのは赤い瞳の女の顔だけだった。しかし、何故かそれは言わない方がいいと思えたため、言葉を濁して首を横に振った。
 目覚めてから一日目はそれですんだ。
 異変が起こったのは二日目だった。ひどく喉が渇き、頻繁に水分を摂ったにも関わらず、夕刻になるとそれは耐え難いほどになり――そこから先の記憶は少しの間途切れている。
 我に返った時、自宅の寝室にいたはずだったのが何故か近所の路地裏にたたずんでおり、足元には顔見知りの娘が倒れていた。
 月の出は既に遅い頃で星明りしかなかったにもかかわらず、娘の細い首筋がやけに白々と見えており、そこに穿たれた二つの小さな傷口から細く鮮血が零れ落ちている。そう気付いた次の瞬間、全身が燃えるように熱くなった。
 後から思えば実際に体温が上がったわけではなく、初めての吸血行為を引き金として全身の細胞の代謝がわずかな間に作り変えられてゆくショックを熱と認識したのだろう。血管を融けた鉄が流れているような猛烈な熱さと息苦しさに喘ぎ、我が身を抱え込んで路地裏にうずくまった。
 そうして、十秒経ったのか、十分経ったのか。
 背中の肩甲骨の辺りがめりめりと軋むような強烈な衝撃と共にそこから何かが伸び、体を覆うほどに大きく広がったことを覚えている。
 勿論のことながら、その時には自分の体を抱き締めて必死に喘ぐばかりで、何が起きたのか認識はできていなかった。
 我に返ったのは、その直後、自分の名を呼ばれた時だ。
 路地の入り口。まだ本調子ではない幼馴染みを見舞ったのに留守であることに気付き、また何かあったのではないかと心配して探しに来たのだろう。彼が驚愕の顔でこちらを見つめ、名を呼んでいた。
 その姿を見、声を聞いた瞬間、反射的に駄目だと思った。
 何が起きたのかは分からずとも、自分の身が人から外れてしまったことだけは直感していたから、本能的に生まれたばかりの黒翼をはためかせ、上空へと舞い上がってそのまま生まれ育った町を離れた。
 何が起きたのか理解したのは明け方近く、体力の限界まで飛んだ後に降りた森の中でのことだ。星明りを受けた池の水面に写る自分は顔立ちや体つきこそ変わりないものの、犬歯が鋭く尖り、背から鋭い角を持つ蝙蝠のような黒い翼を生やした異形と化していた。
 衝撃は深く、体力を消耗していたこともあって泣き喚く気さえ起こらなかった。
 ただ、もう二度と故郷には戻れないこと、あの幼馴染にももう二度と会えないことを悟り、呆然と夜空を見上げた。
 ―――それなのに。




「俺の幼馴染だった君はね、わざわざ追ってきたんだよ。俺を殺すために」
 最初のうち、臨也は吸血の加減が分からずに餌とした幾人かの人間を吸血鬼化させてしまい、複数の土地で騒ぎを起こしてしまった。それで居場所を嗅ぎ付けられたのだ。
「故郷からはもう随分離れていたのにね。随分な執念だったよ。幼馴染が目の前で吸血鬼化をするのを見てしまった以上、自分が化け物となった幼馴染を殺すしかないと思い込んでしまったらしい」
 静雄に組み伏せられたまま、臨也はほのかな冷笑を含んだ声で淡々と語った。
「その頃は、まだ俺も情が残っていてね。殺されたくない、でも殺したくもないと思ったから彼の利き腕の腱を傷付けた。それくらいのことをしてやらないと止まるような奴じゃなかったから」
 猪突猛進な君の性格は二千年経っても変わらないね、と言ってやると静雄の眉が不快げにしかめられる。その顔に少しだけ溜飲が下がる気がした。
「なのに、どうしてか君は諦めてくれなかった。利き腕が駄目なら反対側の腕がある。そう思ったんだろうな。仕方ないから俺は、今度は足の腱を傷つけた。それでも――君は俺を追ってくるんだ。動く左手に杖を握って、片脚を引きずりながらどこまででも」
 当時は舗装されている道など殆どなかったし、舗装されているところも石畳だったから、杖を突いて不自由な体で歩くのは決して楽ではなかっただろう。ましてや山野では、一日に幾度転び倒れたのか。
 それでも彼は、何かに憑り付かれたかのように殺意に目をぎらつかせながら臨也を追ってきた。
「当時はまだ新大陸なんて発見されてなかったから、俺も今で言う大西洋や太平洋を渡るようなことは思いつかなくてさ。ユーラシアを中心に逃げ回ってたんだけど……十年が過ぎたところで、もう駄目だと思った。
 君と俺のどちらかが死ぬまで君は追ってくる。両手両足が使えなくなっても、這いずってでも、命がある限り俺を追ってくる。もう仕方がないと思った」
「だから、殺したのか」
「そう」
 力なくうなずき、臨也はまなざしを先ほど静雄に跳ね飛ばされたナイフに向ける。
「あのナイフ。故郷にいた頃からいつも身に付けていたものなんだよ。餓えに駆られて理性を失っている状態でも、俺は無意識のうちに持ち出していたんだ。その十八の誕生日に君からもらったナイフで、俺は君を殺した」
「俺から……もらった?」
 不思議そうな顔になった静雄に、そう、と臨也は応じた。
「俺達の部族では男たちはある程度の年齢になると、ナイフを授けられる習慣があった。だから俺も十四の時に親からナイフをもらったんだけど、ひょなことで刃を折って駄目にしてしまったんだ。それで次のナイフをどうしようかと思っていた時に、君がお祖父さんの形見のナイフを俺に譲ってくれた。自分には両親からもらったナイフもあるからと、そう言って」
「それをお前はずっと持ってたのか」
「そうだよ? 言っただろ、幼馴染だったって。赤ん坊の頃からずっと一緒で、毎日喧嘩ばかりしてた。家族も町の人も皆呆れてたよ。喧嘩ばかりなのに、いつも一緒にいるって。そして、悪戯をする時だけは息がぴったりだってさ」
 狡賢く知能犯タイプの自分と、少々短気で体を動かす方が得意な彼と。
 毎日ひたすらに喧嘩をし続け、そのくせ第三者が相手を傷付け、侮辱することは互いに絶対に許さなかった。
 相手が怪我をしたり体調を崩したりした時には、馬鹿じゃないかと憎まれ口を叩きながら毎日見舞いに押しかけ、動けない相手を怒らせて満足した。
 そんな風に笑いながら怒りながら過ごした二十年余りの日々。
 光と温もりの中で過ごした遠い遠い記憶。
「そのナイフで君の腕の腱を傷付けて、足の腱を傷付けて。最後は心臓を一突き。苦しませはしなかったよ。その程度の情はまだあったから」
 突き立てたナイフを抜いた瞬間、降り注いだ真紅の雫。命の証。
 それまでに知った誰の血よりも濃密に甘く魅惑的な香りがしたのに、これっぽっちも欲しいとは思えなかった。
 自分がじっと見つめていたのは、大地を赤くを染める彼の血ではなく、静かに冷たくなってゆく彼の横顔だった。
 十年余の追走劇のために、どちらかというと優男だったはずの彼の顔はひどく険しいものに変じて、肌もがさがさに荒れ、無精ひげがまばらに散っていた。
 そのことが何故かどうしようもないほどに悲しくて。
 荒地に穴を掘って彼を埋葬し、彼の杖を墓標代わりに立てた。
 それなのに。
「それで終わったんだと思ったよ。俺はもう君から逃げなくていい。君はもう追ってこない。それなのに二十年後、また君は俺の前に現れたんだ」
 臨也は静雄の顔を見上げ、両肩を押さえ込まれたまま動かせる範囲で手を上げ、静雄の頬に触れる。
「顔立ちは違ってた。そりゃあその時の両親に似るに決まってるからね。けれど、金色の髪と鳶色の瞳と、俺を見つめる殺意に満ちた目は間違いなく君だった」
 目元をなぞり、頬の線をたどる。その間、静雄は臨也の手を振り払いはしなかった。
「俺もね、最初はただの偶然だと思った。ありふれた髪と目の色だし、吸血鬼を恐れるだけじゃなく殺そうとする人間は少なくない。でも、何度もそれが続くんだ。殺しても殺しても二十年前後の年月が過ぎると、よく似た外見の若い男が俺を殺しにくる。俺の存在以上にホラーだろ? そのうち俺は悟らざるを得なかった。君は何が何でも俺を殺したいんだって」
 生まれ変わりというものが世の中にどれほどあるのかは知らない。少なくとも、彼以外の見知った人間が生まれ変わった姿に出会ったことは一度もない。
 しかし、何度でも目の前に現れる男は、間違いなく幼馴染だった青年と同じ魂を持った存在だった。
 激しい殺意もあらわに、どこまででもどこまででも追ってくる。
 何度その心臓にナイフを突き立ててても、彼は戻ってくるのだ。
「そのうちヨーロッパで教会の勢力が強くなって悪魔狩りをするようになると、君はエクソシストとして俺の前に現れるようになった。確実に俺を殺せる聖別された武器を持って。そんな君を殺して殺して殺して……とうとう君で百人目だ」
 静雄は先程からずっと無言で聞いている。そんなことは有り得ないと葛藤しているのか、すべて真実だと受け入れているのか。鳶色の瞳を幾ら見上げても、臨也には判別がつかなかった。
「でも、考えてみれば、その間に君は確かに少しずつ強くなってきていたかもしれない。武器も大型化してきてたし、持久力も増してきてたような気はする。その挙句、ナイフも通じない肉体になって、こうして俺を初めて捕まえることに成功して……満足かい?」
 表情を嘲笑に変えて臨也は問いかける。
「人の生き血を吸う俺と、殺しても殺しても蘇ってくる君と。一体どっちがより化け物なんだろうね? 生まれ変わってる自覚もないくせに、俺を殺したいという願望だけ覚えてるなんて……浅ましいのはどっちの方だよ」
「……言われても、思い出せねぇものは思い出せねぇよ」
「都合のいい脳味噌だ。君はいいよね。死んだらそこで終わり。そこから先は何にも覚えていられないんだから」
「かもしれねぇな」
 挑発的な台詞を他人事のように静雄は受け流す。
 実際、他人事なのだろう。覚えてもいない前世の事をとうとうと語られたところで、彼にしてみれば昔話か世間話の域を出ないに違いない。
 けれど、臨也にとっては全てが事実であり、真実だった。
 好き好んでそうしたわけではない。だが、彼が繰り返し現れる以上、彼の記憶と共に生き続けるしかなかったのだ。
 そんな臨也の心情などまるで知らぬげに、静雄は臨也の目を見据え、問いかける。
「何にしても、手前と俺の因縁が二千年前から続いてるって事は理解したぜ。でも、手前の話の中で一つだけ分からねぇ事がある。――手前、何で俺を吸血鬼にしなかった?」
「は……」
 嘲笑の形に口元をゆがめたまま、臨也は乾いた笑い声を上げる。
 馬鹿馬鹿し過ぎて答える気にもなれない。
 だが、幼馴染の彼同様に石頭なのか、静雄は一歩も引こうとはしなかった。
「吸血鬼にしちまえば、もう簡単には死なねぇんだから生まれ変わりもしねえ。それに血を吸った相手のことは、その気になれば心を支配できるんだろ。俺を下僕にしちまえば良かったじゃねぇか」
「君を下僕にして何が面白いんだよ」
 重ねて問われ、臨也は鼻先で笑い捨てる。
「馬鹿の一つ覚えで殺す殺すって襲い掛かってくる奴を下僕にして、何でも言うことを聞く操り人形にして。そんなものを見て面白いのは、せいぜい三日だ。すぐに殺してやりたくなるに決まってるだろ。それで殺したら、また元の木阿弥だ」
「そんなもん、どこか遠くに閉じ込めておけばいいだけだろ」
「それで? 思い出す度に苛々するのは変わらないよ」
「忘れる、とは言わねぇんだな」
 短く問い詰められて、臨也は一瞬言葉に詰まる。
 ―――忘れる?
 そんなことができようはずがなかった。
 否、臨也は忘れようとした。吸血鬼の寿命は永遠に近いほどもあるのに、罪の意識を生きている間中、抱えていることなどできようはずもない。だから、幼馴染みを殺したという事実には背を向け、魔族としての生を謳歌しようとした。
 なのに、彼が忘却を許さなかったのだ。
「二十年ごとに俺の前に現れてさぁ、よくもまあ言うよね。毎度毎度、俺が忘れかけた頃にゾンビみたいに現れるのは誰だよ? いい加減、深層心理にその髪の色も目の色も刻み付けられちゃったと思わないわけ?」
 寝ても覚めても、少しでも気を緩めれば瞼の裏に面影が蘇ってくる。
 世界のどこかで似たような髪色の青年を見つける度に心臓が跳ねる。
 そんな思いを二千年もさせておいて、閉じ込めるだの忘れるだのよくも言える、と臨也は拳を握り締める。
 前世の記憶など微塵も持っていない静雄にしてみれば、当然の疑問なのだろう。しかし、忘却すら許されなかった臨也にしてみれば、暴言にも程があるというものだった。
「君がどう思ってるのか知らないけど、俺も人の子だった頃があるんだよ。化け物になったからといって感情を無くしたわけじゃない。何十回も殺した相手を今更、吸血鬼にするだの忘れるだの……ひとを馬鹿にするのも大概にしろよ!」
 そんなことができるのなら、とっくにやっていた。
 ただの人間に過ぎない幼馴染みの青年を吸血鬼にすることなど簡単だった。当時の彼は、まだ怪力も聖別された武器も持ってはいなかった。
 しかし、だからといって、どうして赤ん坊の頃から知っていた相手の血を吸えるだろう。
 彼まで魔に堕とすことができるだろう。
 臨也にできたのは、彼を殺すことだけ。
 そうすることで、自分が与えてしまった苦しみから彼を解き放つことだけだった。
 そして、やっと終わったと思ったのに。
「むしろ俺の方が訊きたいよ! なんで君は何度でも戻って来るんだよ!? 俺のことを忘れるべきなのは君の方だろ……!」
「――忘れたくなかったんだろ」
 激昂した臨也の剣幕に静雄は驚いたように目をまばたかせたが、その問いにはひどく静かに、ぽつりと答えた。
「生まれ変わりだの何だの言われても、俺は全然思い出せねえ。でも、本当に二千年も手前を追っかけてたっていうんなら、俺はずっと手前を捕まえることしか考えてなかったんだろ。手前に殺された瞬間でもよ」
「……その執念だけで生まれ変わり続けたっていうわけ? 馬鹿すぎるだろ」
 吐き捨て、臨也は一つ息を付いて身体の力を抜く。
 極僅かな時間とはいえ激昂した反動だろうか。もがくのを止めた者が瞬く間に波間に引き込まれるかのように、急速に気分が沈み込んでゆく。
 ひたひたと押し寄せる倦怠感に全身を侵食され、今更ながらに背に当たる冷たくごつごつした地面の感触がひどく無慈悲に感じられる。
 そして、臨也はそう感じる自分が心底疲れ果てていることを悟った。
 人としての情を忘れ、吸血鬼としての生を存分に謳歌できていたら、二千年という歳月でも疲弊せずにいられたのかもしれない。
 けれど、それは不可能だった。
 中途半端に人間としての情を残したまま、二千年も生きてきたのだ。魂が磨耗しない方が不思議だった。
「もういいよ、シズちゃん」
「ああ?」
「もういいから、殺して。俺を殺せば君もきっと、もう生まれ変わりなんてやらなくて済む。俺も、もう君のことを考えなくても済む。良いことずくめだろ」
 まなざしを伏せ、そう告げた途端。
 ふつりと彼の気配が変じた。
「手前は全然、これっぽっちも人の話を聞く気がねぇらしいな……?」
 暗闇にぱっと火が灯った。あるいは、長さの足りない導火線に火がついた。
 たとえるならば、そんな気配の燃え上がりに気付いて臨也は目を開ける。
 だが、静雄の動きの方が速かった。


「だったら俺だって、手前の言い分なんざ、これっぽっちも聞いてやらねぇよ!」


 獰猛なその声を発し終わるのとほぼ同時に、組み敷かれたまま身動きのかなわない臨也の唇に再度、静雄の唇が押し当てられる。
 そこまでなら先程までと一緒だった。だが、決定的に違うものがあった。
 ―――血の匂い……!!
 薄く開いてしまっていた唇の隙間から、これまでに味わった誰の血よりも濃厚で魅惑的な甘露が流れ込んでくる。
 量としてはさほど多いものでもない。
 だが、若く生気に溢れた血液は、吸血鬼を極上の蒸留酒のように酩酊させ、悦楽の園にいざなう。
 たとえ、きっかけは唇と舌の表面を濡らす程度の量であったとしても。
 それは臨也の理性を吹き飛ばすには十分に過ぎた。
 甘い甘い血の味と匂いにくらりと視界が回る。一気に吸血鬼としての本能が目覚め、赤みを帯びたセピア色だった瞳が真紅に燃え上がる。
 そして臨也は、己の内の魔性がが欲するままに口腔に注ぎ込まれた血をくまなく舐め取り、更に舌を伸ばしてその血の出所を探った。
 程なくやわらかな肉の表面に傷口があるのを見つけ出し、そこに執拗に舌を這わせて溢れ出す血を吸い上げる。
 だが、この獲物は傷の治りが早いのか、徐々に出血が治まっていってしまう。まだ駄目、もっとと牙を立てようとするが、やわらかいはずの舌がまるで硬いなめし皮か何かであるかのように上手く牙先が食い込まない。
「ん…、ふぁ、ん……っ」
 焦れったさに思わずむずかった声を上げると、何故か無理やりに引き離され、どうして、と思った次の瞬間。
 更なる鮮烈な血の匂いが広がった。
 目の前にある餌の首筋。そこに引き裂いたような傷口が大きく開き、この上なく新鮮な真紅色の甘露がどくどくと溢れ出している。
 ―――なんて甘い匂い……!
 闇に赫い瞳を爛々と輝かせ、臨也は躊躇うことなくその傷口に貪り付いた。
 ―――信じられないくらい甘い! なんて美味しい……!
 伝説に聞く神々の飲み物(ネクタル)もかくやと思われるような、これまで味わった中で最も濃厚で甘く生気に溢れた血の味に酔い痴れながら、臨也は夢中で吸い上げる。
 一口飲み干す度に全身に力がみなぎってゆくようだった。だが、それ以上に、あまりにも甘美な味わいに欲望を制御することが叶わない。
 ここしばらくの間、静雄の存在が近くにあったために餌を狩ることができず、少々飢えていたことも拍車になったのだろう。
 餌を逃さぬよう見かけよりも遥かに強靭な両腕で餌の背を抱き止め、ぱっくりと開いた傷口に更に牙を突き立てて太い血管から直接血を吸い上げる。
 そうしてどれほどの時間が過ぎたのか。常に比べれば随分と持ちこたえた餌の肉体が限界を迎えたのか、ずるりとその場に斜めに崩れ落ちてゆく。
 臨也はそれを支えるようなことはせず、腕の力を緩めて獲物が地に伏してゆくのに任せた。
 そして、奪った生気が全身に溢れ、駆け巡る感覚にうっとりと目を閉じて満足の溜息をつき、再びゆっくりと目を開ける。
 闇の中で真紅に輝いていた虹彩も静かにセピア色へと戻り―――。
「え……?」
 地面に仰向けに横たわったまま、臨也は自分の傍らに同じように横たわっている『餌』を見た。
「え……」
 金色の髪。
 閉ざされた鳶色の瞳。
 十六夜の月の光を受け、青ざめて見える頬。
 血まみれの――首筋。
「シズちゃん!?」
 臨也は跳ね起き、静雄の肩に手をかけて揺さぶる。その手荒な扱いに静雄は目を閉じたまま僅かに呻いたが、しかし、手遅れであることは一目瞭然だった。
 吸血鬼に一定以上の血を吸われて無事でいられる者などいない。
 たとえ今すぐ病院に運んで輸血しようが何をしようが、彼の人間としての生はこれで終わりだった。
「あ……あ……、」
 魔族としての本能に任せて自分は何をしたのか。
 臨也の全身が小刻みに震え始める。
「嫌だ……シズちゃん……っ」
 これまでに何度も大地に伏している彼の姿を見た。
 いつもいつも大地を血に染め、静かに冷たくなっていった。
 だが、今目の前にいる彼は違う。
 もう何をしても彼は助からない。
 もう二度と、眩しい光の中には帰れない。
「う、あ……あ、あああああああああっ!!」
 半身を真紅に染めたまま動かない、大事な大事な幼馴染の青年を見つめ。
 臨也は、魂も砕け散らんばかりの声で咆哮した。
   

to be continued...

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