cat-and-dog

 既に深夜であるにもかかわらず、俗に不夜城と呼ばれるその街は、煌々とまばゆいくらいにネオンが光り輝いていた。
 いずれも誘蛾灯の役目を果たすべく、扇情的に、きらびやかに街を行く人々を照らし出している。
 その一角、もっとも艶(あで)やかな区画にそれは聳え立っていた。
 ビルそのものは、ありふれた商業ビルである。だが、その入り口は、あと一歩でけばけばしいと称されるだろうスポットライトで装飾され、幾つもの大きな写真パネルが壁面で輝いている。
 そして、その写真はいずれも流行最先端の高級スーツを程ほどに着崩し、甘い笑みを浮かべる若い男達だった。


「こんばんは。今夜も御指名ありがとう」
「ううん、イザイザの役に立てるなら私、嬉しいから」
「うん、俺も嬉しいよ。毎回指名してもらえるなんて、ホスト冥利に尽きることだからね」
 甘い笑みを浮かべ、甘い言葉をささやく。
 そうしながら、臨也はさりげなく手で合図して、その常連客の好みである酒をホール係に運ばせた。
「はい、どうぞ」
「ありがと。乾杯してくれる?」
「勿論」
 自分のグラスを手に持ち、客のグラスに軽く触れ合わせる。
 クリスタルグラスの澄んだ音は、店内のBGMに殆どかき消されてしまったが、臨也の鋭い聴覚はそれをくっきりと捉える。
 本当のテーブルマナーでは、上等のグラス同士をぶつけて音を立てるなど、あってはならないことだ。だが、こんな店でそんなルールを持ち出すのは野暮でしかない。
 高級酒を安酒のように煽るのも、同じ事だった。
 世間一般では野暮、あるいはマナー違反とされることが、この街では粋なのだ。
 虚構と知りつつも少しばかり悪い世界に足を踏み入れ、その甘露に酔い痴れる。
 ここはそういう街であり、そういう店だった。


「ごめんね、ちょっとだけ離れるよ。正臣に相手させるから、浮気しないで待っててくれるかな」
 常連客を程々に相手した後、そんな台詞で断りを入れ、後輩ホストに合図をしてその場を離れる。
 賑わっている店内を滑るようななめらかな足取りで移動し、フロアマネージャーに軽く右手を上げてから店の外へと出る。途端、大都会の綺麗とはいいがたくとも、煙草と香水の匂いはさほどしない大気が臨也の胸郭を満たした。
 一つ深呼吸をしてから、臨也は、きょろ…と視線を動かす。
 求めた姿は、店の玄関から数メートル離れた所に佇んでいた。
「シーズちゃん」
 軽やかな調子で声をかければ、彼は直ぐに振り返る。
 だが、呼ばれて嬉しいという風体には程遠く、その眉間には険しい皺がよっており。
「……何またサボってやがんだ、手前」
 返された言葉も、この上なく不機嫌そうに低く地を這っていた。
「休憩だよ、休憩。俺は超売れっ子だからね、もっのすごく忙しいし、その分、桁違いの売上も叩き出してるから、ちょっとくらい休憩したって怒られないの」
 毎回説明させないでよ、と直ぐ近くまで歩み寄れば、ふわりと煙草の香りがする。
 人工香料を使っていない独特の香りは、アメリカンスピリッツのものだ。少なくとも店内では誰一人、この銘柄を吸っている者はいない。
 どこか甘く感じられるその香りを意識しながら、臨也は目の前の男を見つめた。

 身長百七五センチの臨也よりも更に十センチほど高い身長に、根元まで綺麗に染めた少し癖のある長めの金髪。
 ブランド物の薄青いサングラスに、長い手足の映えるバーテン服。
 そして、精悍に整った顔立ち。
 つくづく勿体無いよな、と思う。
 素材はとてつもなく良いのに、臨也がシズちゃんと呼んだ彼の店での仕事は、ホストではなく呼び込みのプラカードマンだった。
 平和島静雄という名前の彼がそんな仕事をしている理由は、ひとえに彼の性格にある。
 ともかく短気なのだ。
 本来の性格は穏やかでのんびりしているようであるのに、相手の言動に気に入らない部分を見つけてしまうと、別人のようにキレて荒れ狂う。
 そんな男が、臨也がナンバーワンを務めるホストクラブに職を求めてやってきたのは、その性格が災いして多額の借金をこしらえてしまったからであるらしい。
 しかし、キレやすい性格では、デリケートな女性相手の接客などできるわけもない。ゆえに、店長の計らいで最初から客引きの仕事を宛がわれたのだが、その辺は紹介者の進言も絡んでいると臨也の地獄耳は聞き込んでいた。
 そんなわけで、ともかくもこの半年ほどの間、彼は真面目に客引きを務めており、その容姿で多数の新規客を店に引き込むという立派な実績を上げている。

「ねえ、シズちゃん。今日は何人、釣ったの?」
「……釣ったって言うな。人聞きの悪ぃ」
「言葉を飾ったって意味ないだろ」
 肩をすくめて笑い、臨也は、ねえ、と再度呼びかける。
「一本ちょうだい」
「……なんで毎回毎回、ねだるんだよ。手前、高給取りだろ。それも目玉が飛び出るくらいの。年に億稼ぐような奴が、もらい煙草なんてしけた真似しやがるんじゃねぇよ」
「馬鹿だねぇ、シズちゃん。君が嫌々くれるタバコだから美味いんじゃないか。ほら、早く。俺も延々と休憩していられるわけじゃないんだから」
「手前で買え。アメスピなら東口にも売ってる店はある」
「あー、そういうこと言う? だったらさ、君が持ってるそのプラカード。代金を支払ってあげてるのは誰だっけ?」
「これは……っ」
「ね? 分かったら、煙草、寄越しなよ」
「〜〜〜誰も頼んでねええええっ!!」
 静雄が叫ぶと同時に、振り上げられたプラカードが臨也めがけて振り下ろされる。
 それをひょいと身軽に避けた臨也は、風音を立てて路面近くまで迫ったプラカードにタイミングを合わせて、ストライカーさながらに鋭く右足を振り抜いた。
 バキッ、と小気味の良い音を立ててプラカードが割れ、高く舞い上がった破片が車道へとすっ飛んでゆく。
「あーあ、シズちゃん。また壊しちゃったね」
 それらの破片の行方を見守ることもなく、臨也は笑いながら静雄を見上げた。
「今夜はコレで一枚目。閉店までに何枚が犠牲になるかな。賭けようか?」
「〜〜〜うぜぇぇぇっ」
「ほらほら、新しいプラカード取りに行かないと。あ、その前に煙草ね。どうしても煙草をくれるのが嫌だって言うんなら、キスでもいいけど?」
 激昂して青筋を立てている静雄に、ずいと顔を近付ける。
 すると、静雄は露骨に嫌そうな顔をして、臨也の顔を手のひらで押しのけた。
「ちょっと! 乱暴にしないでよ。俺の顔が曲がったらどうするのさ。これ、売り物だよ? しかも、超高級品」
「その腐った根性と沸いた脳味噌に合わせて、顔も捻じ曲げちまえ!」
 言いながらも埒が明かないと思ったのか、静雄は乱暴な手つきでポケットから煙草のケースを取り出し、一本を臨也に押し付ける。
「そうそう、人間、物分りが良くないとね。あ、シズちゃん、火も!」
 煙草のみ渡して、新しいプラカードを取りに店内に戻ろうとした背中を呼び止める。と、静雄は大きく舌打ちをしてライターを取り出し、ジッポー独特の金属音を立てて火を灯した。
 それに咥えた煙草を近づけて一吸いし、細く紫煙を吐き出しながら臨也は静雄を流し見る。
「シズちゃんって借金だらけのくせに、小物はいいもの持ってるよね。そのグラサンとかジッポーとかさ」
「手前には関係ねぇよ」
 だが、その挑発とも問いかけともつかない臨也の言葉に、静雄は答えようとはしなかった。
 言い捨て、今度こそ静雄は店内へと戻ってゆく。
 その後姿を見やってから、臨也はガードレールに軽く体重を預け、ゆっくりと煙草をくゆらせた。
 そして、ぽつりと呟く。
「一体、誰にもらったんだか……」

 臨也が見る限り、静雄はブランド物には全くと言っていいほど興味はない。
 知識そのものは皆無ではないらしく、ある程度の高級ブランドの名前は知っているものの、店内の臨也を初めとするホストが身につけているスーツや装飾品に対し、もの欲しそうな目を向けたことは一度もないのだ。
 なのに、そんな男が多額の借金を背負って入店してきた時から、ほんの数点とはいえ、とても良い小物を所持している。
 そこから導き出される自然な答えは、誰かからもらった、だった。

「昔の女とかかな」
 キレなければ、静雄は世間一般に言うイケメンの好青年だ。二十代半ばの年齢で、これまで一度もモテ期がなかったとは思えない。
 そして、静雄の人柄を知れば知るほど、昔の恋人からもらった小物であっても大切に使っていそうなイメージは、よく当て嵌まった。
「ムカつくよねえ。俺がプラカードの代金を肩代わりしてやってんのは、あんなに嫌がるくせに……」

 二人が勤める店には常時、数十本のプラカードが用意されている。静雄が臨也にからかわれたり、路上で酔漢に絡まれたりする度にプラカードを壊すからだ。
 勿論、それらは当然、静雄の給与から天引きされるべきものなのだが、彼という人間を面白がった臨也は、更なる嫌がらせのため、マネージャーに自分の給与からの天引きを申し出た。
 店としては、負担してくれるのならばどちらからでも構わない話だったのだろう。あっさりと臨也の要望は叶えられ、以来、その肩代わりをネタに、臨也はせっせと静雄に煙草をはじめとするおねだりを重ねているのである。 

「本当に無理矢理キスしてやろうかな」

 薄くて形の良い唇に噛み付くようなキスをしてやったら、どんな感触がするだろうか。
 きっと近くで言葉を交わしている以上に、濃い煙草の香りがするだろう。
 体温は自分より高いのか、低いのか。
 きっと高いのだろうな、と想像する。
 根拠などないが、そんな気がした。

「おい、とっとと戻ってこいだとよ」
 淡い夢想は、不意にかけられた不機嫌な低い声にかき消される。
 戻ってきた静雄は、先程まで持っていたものと同じ、新品のプラカードを手にしていた。
「仕方ないなぁ」
 溜息をつき、煙草をアスファルトに落として踏み消す。
 接客業は向いていると思うし、嫌いでもない。
 だが、半年前までは好きだと言い切れた仕事が、今はそうとは断言できない。
 全ては、この目の前の男のせいだった。
 半年前のあの日。
 いかにも物慣れない様子で、ドレッドヘアの男に付き添われて店にやってきたこの男を見た瞬間、あるいは、まなざしが合ったその瞬間。
 臨也の中で、何かが音を立てて大きく変わってしまったのだ。
「ねえ、シズちゃん」
「何だよ」
「今夜さ、閉店までにプラカードをあと三本壊したら、俺に焼肉奢ってよ」
「ああ? 何でだよ」
「プラカードの代金に決まってるだろ。焼肉が嫌なら、キスで払う? 勿論、マウス・トゥ・マウスの濃厚なやつね。世界がぐらぐらしそうなくらいの」
「そんな二択があるか!」
「あるんだよ、ここに。じゃあね、シズちゃん。せいぜい客引き頑張って。俺も時々、休憩しに出てくるからさ」
「来んな!!」
 怒声を上げる静雄に、あははと笑いながら臨也は店に向かって歩き出す。
 そして、店まであと散歩という所で笑みを収め。

「──結構本気で言ってるんだけど。分かんないだろうな、シズちゃんには」

 小さく呟いた言葉がぬるい夜風に流されるのを待ってから、臨也はこの眠らぬ街に相応しい笑みを浮かべ、自分を待つ客の元に戻った。

End.

主催した第2回・静臨オフ会で出てきたホストねたを、夜が明けてしまう前に文章化。
シズちゃんがホストというのは、どうにも浮かばないんですよね…。
ともあれ、オフ会に参加して下さった皆様、ありがとうございました!!(*^▽^*)

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